人生の新しいステージで思いついた革新的思い
ビジョンを現実化するための準備と確実な進み方を学ぶ
このサイトの目的は、独り子の息子が結婚し新んステージに入り、新たな考え方に目覚め、その進行をこのサイトで皆さんと共有し、似たようなステージで新たなチャレンジに挑戦している方々と繋がることをを目指します。
また、その過程を自分の覚書のようにこの場所を通して残しつつ、忘れないように行くべき道や方向性を確認する場所にしたく思いました。
それで、この場所に記事として、ブログとして書き続けようと覆っています。
自分らしく生きる
人生の目標を追求する
中学生の時自分の生きる目的がなんであるかを真剣に考える時がありました。夏休みの三日間家に綴じ込みそこから一連の考えをしていました。その中で自分が一体どこから来たものなのか?そして、どこに行くのか?自分がどこから来たかを考える時、行き止まりになってしまいました。一定のところまで行きましたが、それ以上進むことができず、そこでおしまいでした。それ以上考えられなかったです。
それで、今度はどこに行くのか?を考えるうちに、たどり着いたのは「死」でした。人間はいずれか皆死ぬことが決まっている。だったら、生きている間に築き上げたすべてのものは台無しなるのではないか?と考えました。急に、空しい気持ちが盛り上がって、生きる意味のなさを思えました。それで、こんな人生なら自殺しようと思いこみました。
そこで、果物ナイフを手にしてはらきりをするのを数回しましたが、うまくいかず痛みだけ残りました。しかし、その痛みの中で、ふっと頭に浮かんだ声のような思いがありました。それは、「自分の命を落とすような勇気があるのなら、その勇気を与えられた命の限り他の人々のために使うのは?」と一瞬でしたが、頭の中を走りました。
そこから決断したことが二つありました。
1.死に対する問題の解決は、宇宙を支配する絶対者と会えば快活の方法が見つかるのではないか?ということから、その絶対者と会おうと決めました。
2.与える人となるためには、まず、自分が学ばなければならない。だから、まず、学ぶことに集中する。ということでした。これは、15年間という大学での生活につながりました。短大・学部・そして、大学院です。また、大学の講師として勤めて、常に学ぶことを進めていました。
生きる目的を探して
“絶対者と会うことは死の問題を解決する方法であり、学ぶものとなるのは、他人のために生きる準備である。”
学びを続く内、自分がどれほど無知なものであり、罪深いものであるかを悟りました。これらから脱出するために、悔い改めることができ、恵まれた人生を過ごしています。
それからは、喜びと幸せ感が増し、常に感謝するようになりました。
“あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。
決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。 “ -聖書
自分の努力によって良い人になることではなく、神様からの賜物を受け取る信仰が自分を変えたのです。
残りの人生に託されたチャレンジがたくさんあります。その一つ一つを乗り越えて行くために、挑戦の心構えが必要です。
その過程を皆さんに分かち合いながら、自分のためにも記録として残しておきたく思います。